特撮
はじまりは、うまくいかなかった企画でした。プロデューサーの田中友幸はインドネシアの映画会社との合作を進めていて、1954年2月25日には本契約まで交わします。ところが3月25日、インドネシアの外務省がビザを出さないと通告し、4月5日に両社は断念を発表しました。穴が空いた枠を埋めるために立てられたのが、5月から極秘で進んだ「G作品」です。同じ年の3月1日には、ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被爆していました。円谷英二は、欧米にならって人形アニメで撮ることを考えました。けれど11月3日の封切りから逆算すると、その工程では間に合わない。それで、人が中に入るぬいぐるみを選びます。——この地図には、同じかたちの話がいくつもあります。撮影所が使えなくて路上に出たネオレアリズモ。機械のサメが壊れ続けて、サメを見せないことにしたジョーズ。自分たちに禁止事項を課したドグマ95。間に合わせで選んだはずのやり方が、その国の映画の語彙になり、海を渡っていくことがあるようです。渡った先で、削られたものもあります。1956年のアメリカ版は、記者役の新しい場面を撮り足して日本映画に見えないようにし、核をめぐる調子をだいぶ薄めました。芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーを恐れる台詞も、原版の「誰の手にも渡してはならない」から、アメリカ版では「まちがった手に渡ってはならない」に変わっています。誰の手にも、が、まちがった手に。冷戦のなかで、意味が一段ずれました。それでも怪獣は届き続けています。ハリウッドは二度この生き物を作り直しましたし、ギレルモ・デル・トロは2013年の『パシフィック・リム』を、本多猪四郎とレイ・ハリーハウゼンに捧げました。「二人に共通するのは、自分の創造物への愛が見えることだ」と彼は言っています。