現代の作家たち
この節は、この地図でいちばん線が集まる場所です。理由は単純で、ここにいる人たちは自分が何から来たかをよく喋るからです。タランティーノはこう言っています。映画学校に行ったのかと訊かれたら、行っていない、映画に行ったんだ、と。実際、彼はビデオレンタル店の店員でした。香港アクションもスパゲッティ・ウェスタンもヌーヴェルヴァーグも、棚から取って浴びるように観ていた。過去の全部が手の届くところにある、最初の世代です。だから彼らの映画には、出どころが書いてあります。ギレルモ・デル・トロは七歳で一九三一年の『フランケンシュタイン』を観たときのことを、日曜のミサよりもあの映画のほうが自分の信仰を分からせてくれた、と言いました。六歳で観た『大アマゾンの半魚人』については、怪物が彼女を愛しているのが好きだった、二人が結ばれてほしいと願った、だからいつか自分がそれを正すと決めた、と。三十年後に『シェイプ・オブ・ウォーター』を撮っています。ダミアン・チャゼルはジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘』を二百回以上観たと言い、古いミュージカルの型を現実にぶつけたらどうなるかを試したのだと語りました。ソフィア・コッポラはアカデミー賞の壇上で、脚本を書いていたときに刺激をくれた作家として、アントニオーニとウォン・カーウァイとボブ・フォッシーとゴダールの名前を挙げています。バリー・ジェンキンスはウォン・カーウァイとホウ・シャオシェンを、アルフォンソ・キュアロンは小津安二郎と是枝裕和を、セリーヌ・シアマはキューブリックの『バリー・リンドン』の蝋燭の照明を、ポール・トーマス・アンダーソンはロバート・アルトマンを挙げました。リトル・ボビー・アルトマンと呼びたければまったく構わない、というのが彼の言い方です。S・S・ラージャマウリは『ブレイブハート』の、アクションの前に情感を高めるやり方だと言いました。タランティーノは鈴木清順について、全体にではなく、特定のショットや、とにかく実験してみるその姿勢に触発された、と語り、ノーランはキューブリックの『2001年宇宙の旅』について、無駄なショットが一つもなく、余分な言葉も一つもない、と言っています。ヴィルヌーヴは子どものころ寝る時間を過ぎて観たその映画の猿の場面を、いまでも鳥肌が立つと言い、クロエ・ジャオはテレンス・マリックを師の一人に挙げました。庵野秀明は、実相寺昭雄の作品を子どものころに観ていなかったら『シン・ゴジラ』はなかった、と言い切っています。この節から過去へ伸びている線は、全部そういう言葉でできています。だからいちばん濃く、いちばん太い。
もうひとつ、この時代には分かれ道があります。ノーランはフィルムについて、目が見るのにいちばん近い技術的な相似物だ、と言い、二〇一五年にコダックが工場を閉じかけたとき、映画会社六社を動かして買い支えの契約をまとめました。タランティーノもその側です。一方でキュアロンは、『ROMA/ローマ』が劇場に断られたときにこう問い返しました。白黒で、スペイン語とミシュテク語で、スターのいないメキシコ映画が、通常の劇場公開でどれだけの規模になると思いますか。スコセッシも『アイリッシュマン』の資金を七年かけて探しています。フィルムと劇場を守る側と、届く先を選ぶ側。同じ時代の作家が、正反対を向いています。ただ、二つには共通点があります。どちらも、観る手段が先に変わって、作る手段があとから変わった。ビデオ屋の棚が九〇年代の作家を育てたのと同じことが、配信でもう一度起きています。二〇二〇年には『パラサイト 半地下の家族』が、英語以外の映画としてはじめてアカデミー作品賞を獲りました。そしていま、中くらいの映画が減っています。二〇二四年に大手五社が全米で広く公開したのは六十二本、そのうち製作費が一億ドルに届かないものは二十本でした。