日本の喜劇
日本の映画の笑いは、まず撮影所のシリーズとして量産されました。森繁久彌の「社長シリーズ」と「駅前シリーズ」が一九五〇年代の終わりから続き、クレージーキャッツが続きます。同じ顔ぶれが同じ型で毎年帰ってくる、という作り方です。一九六九年に始まった『男はつらいよ』は、それを極端まで押し進めました。渥美清が亡くなるまでに四十八作。同じ俳優による最長の映画シリーズとして、ギネスに認定されています。一九八四年に伊丹十三が『お葬式』で監督になり、翌年の『タンポポ』でその笑いを世界に届けます。そして一九九七年、劇団の人が入ってきました。三谷幸喜です。ここに、この地図でいちばん意外な線が一本あります。三谷は自分が何に刺激を受けたかを語っていて、それがビリー・ワイルダーでした。ワイルダーは、この地図の別の帯で『深夜の告白』を撮っている人です。フィルムノワールの帯にいる人が、日本の一九九〇年代の喜劇に繋がっている。同じ手が、暗い保険金殺人の話と、笑える会話劇の両方を撮っていたからです。三谷はニール・サイモンの『おかしな二人』についても、あれを観ていなかったらたぶん演劇を始めなかった、と言っています。もう一本、密室の群像劇という型も渡っています。『十二人の怒れる男』が一九五七年、『12人の優しい日本人』が一九九一年。三十四年かけて、陪審員の部屋がそのまま引っ越してきました。そしてこの帯のいちばん新しいところに、製作費三百二十五万円で作られて興行収入三十一億円になった『カメラを止めるな!』が立っています。