ホラー
1931年、ユニバーサルが『魔人ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』を同じ年に出して当てました。ここで撮影所が発見したのは、観客はお金を払って怖がりに来る、ということです。恐怖は避けたいものではなく、買いに来るものだった。城と怪物の時代がしばらく続いたあと、1960年にヒッチコックが『サイコ』でその場所を移します。怪物は遠い国の城ではなく、道路沿いのモーテルにいました。しかも人間の顔をしていた。怖いものが日常の側へ引っ越したわけです。この映画は、作り方も変わっていました。ヒッチコックは自分のテレビ番組のスタッフを使い、三十日で撮っています。白黒にしたのも、おもに費用のためでした。二十五万ドルの監督料を辞退して興行収入の六割を受け取る契約に変え、結果として千五百万ドル以上を手にしています。そしてもうひとつ、この映画は観客の側も変えました。劇場に「上映が始まったら誰も入れません」という看板を出し、等身大のパネルを置き、警備員まで立たせたのです。第一幕で主人公が殺されてしまうので、遅れて入ってきた客が話を見失わないように。いま当たり前になっている「上映後の入場お断り」は、ここから始まったとされます。1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、この地図の別の場所で書いた話とそっくりな理由でパブリックドメインになりました。公開直前に題名を変えたときに、権利の表示を入れ忘れたのです。チャップリンの『黄金狂時代』が更新の手続きで権利を失ったのと、同じ層の話です。名作かどうかではなく、書類が一枚どうだったかで決まっている。1973年の『エクソシスト』は、ホラーとして初めてアカデミー作品賞にノミネートされました。そして1978年の『ハロウィン』は、三十万ドルほどで作られて桁違いに稼ぎます。ロメロ本人は後年、こう言っています。でもあの映画は僕らにキャリアそのものを与えてくれた、と。権利がなかったからこそ多くの人が観られて、映画が生き続けた、という趣旨のことも語っています。手違いが、結果として作品を長生きさせました。
この節は、数字で語るのがいちばん早いかもしれません。『ハロウィン』は三十万ドルほどで作られて七千万ドル。『悪魔のいけにえ』は十四万ドルで三千万ドル。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は六万ドル前後で二億四千八百万ドルになり、製作費に対する戻りの比率でギネスに認定されました。一ドルにつき一万九百三十一ドルです。『パラノーマル・アクティビティ』にいたっては、撮影費が一万五千ドルで、興行収入は一億九千三百万ドル。額はまちまちですが、同じ形の話が何度もくり返されています。ホラーがこの地図でいちばん賑やかな帯であり続けるのは、たぶんこれが理由です。いちばん安く作れて、いちばん当たる可能性がある。だから新しい人はここから入ってくる。