映画の文法
クロースアップ、切り返し、二つの場所を交互に見せる並行編集——映画が「舞台の記録」をやめて、自分の言葉を持った時期です。ここで発明された文法を、いまのすべての映像が使っています。その発明のいちばん早い実例を一本、まるごと置きました。1909年の『小麦の買い占め』は14分の短編で、小麦を買い占めて価格を吊り上げる相場師の宴会と、パンが買えなくなった人々の行列とを、交互に切り替えて見せます。二つの場所を並べるだけで、そこに「だから」という意味が生まれる——編集が語りはじめた瞬間です。ソ連のモンタージュ理論はこの十数年後に、この発見を理屈にしました。監督のD・W・グリフィスは、この文法を組み立てた人であると同時に、1915年の『國民の創生』で人種差別的な描写を大々的に広めた人でもあります。この地図は、その両方を書きます。技術の発明が、そのまま倫理の免罪符になることはありません。
そのうえで、この節にはもうひとつ書いておきたいことがあります。グリフィスが発明した、とされているものの多くは、彼の発明ではありません。クロースアップは一九〇〇年のイギリス、ジョージ・アルバート・スミスの『祖母の虫めがね』にすでにあります。虫めがねを覗く子どもの視点が、丸く切り取られて画面いっぱいに映る映画です。このフィルムは長いあいだ失われたと思われていて、一九六〇年にデンマークで見つかりました。二つの場所を交互に見せる編集も、一九〇三年のポーター『アメリカ消防夫の生活』が最初とされてきました。
ところが、ここに二段目の疑いがあります。米議会図書館の調査で、いま残っている「屋内と屋外を交互に見せる版」は、一九〇三年の公開版ではなく、後から誰かが編集し直したものらしいと分かりました。もとの版は、同じ救出を内側から見せ、そのあと外側からもう一度見せる、という順に並んだ構造だったようです。つまり並行編集ではなかった。そして一九四四年に美術館がその再編集版をオリジナルとして収蔵し、以後何十年も「ポーターが編集の先駆者」という評価が定着しました。この地図は「最初とされるものにも、その前がいる」を何度も書いてきましたが、ここではもう一段深いことが起きています。前がいるどころか、その「最初」自体が後から作られた形だった。
もうひとつ面白いのは、この神話を作ったのが映画史の研究者ではなかったらしいことです。トム・ガニングによれば、初期の映画史家たち——ジェイコブス、サドゥール、ミトリ——は、グリフィスが新しい技法を導入したわけではないことを、とうに承知していました。それでも「グリフィスの発明」という語り方は残りました。学問の誤りではなく、通俗の語りが学問を追い越して定着した例です。
最後に、この時期にもうひとつ生まれたものがあります。俳優の名前です。バイオグラフ社は出演者を匿名にしていて、フローレンス・ローレンスはただ「バイオグラフ・ガール」と呼ばれていました。一九一〇年、彼女を引き抜いたカール・レムリは、業界紙に「バイオグラフ・ガールが路面電車に轢かれて死んだ」という嘘の記事を仕込み、直後に自分でそれを否定する広告を出します。そして本人をセントルイスへ連れていき、映画スターとして初めて公衆の前に立たせました。スターという仕組みは、こうして作られています。