ブロックバスター
この言葉は、もともと爆弾の名前でした。第二次大戦で使われた四千ポンドの大型爆弾——街区ひとつを壊す威力があるという意味で「ブロックバスター」です。確認できるいちばん古い用例は1942年7月の通信社の記事で、映画に使われるようになったのは1956年、『戦争と平和』や『十戒』のような大作を指す言葉としてでした。この地図には、外から来た名前がいくつも並んでいます。今度は戦争の言葉でした。1975年6月20日、『ジョーズ』は全米四百九館(カナダを入れて四百六十四館)で一斉に公開されます。公開前の三日間、夜のいちばん良い時間帯に三十秒のテレビ広告を毎晩二十本以上流し、それだけで七十万ドル。宣伝費の合計は百八十万ドルで、当時のユニバーサルとして最高額でした。ただし、よく言われる「ジョーズが全米同時公開を発明した」は、正確ではありません。その一か月前の5月21日、コロンビアの『ブレイクアウト』がすでに千三百館規模の一斉公開とラジオCM一万七千本をやっていて、それに感心したユニバーサルの経営陣が同じやり方を持ってきたのです。しかも当初の九百館案を四百六十四館に絞ったのは彼らの判断でした。ジョーズは発明者ではなく、型を証明して定着させた側です——この地図の反対の端に、同じ構造の話があります。『大列車強盗』も、最初の西部劇ではなく、型を確立した一本でした。それまで、夏は映画を捨てる季節でした。大作は年末に出し、当たりそうにないものを夏に流して早く忘れてもらう。1975年の時点で、夏の興行収入は一年の三割ほどしかありません。『ジョーズ』は十四週続けて全米一位になり、劇場からの収入で史上初めて一億ドルを超えました。夏は、それから主戦場になります。そしてこの帯でいちばん語りたいのは、そこではありません。機械のサメは真水用に設計されていて、海水のなかで壊れ続けました。無線には「サメが動かない」という声が流れ、五十五日の予定だった撮影は百五十九日になります。その結果が、あの映画の作り方でした——サメを見せない。スピルバーグ本人が、のちにこう言っています。もし2005年に作っていたら、デジタルの道具があって、もっとサメを見せて、もっと映画を台無しにしていただろう、と。「天からの恵みだった」とも、「ヒッチコックのようになれた」とも語りました。この地図は「制約が発明を生む」という話を、撮影所が使えなくて路上に出たネオレアリズモや、自分に禁止事項を課したドグマ95の側で書いてきました。同じ線が、いちばん商売の上手くいった映画にも通っていたことになります。1977年の『スター・ウォーズ』は、公開の日にはまだ三十館ほどでした(資料によって三十二館から四十三館まで幅があります)。ルーカスが監督料を減らす代わりに商品化と続編の権利を取った話は有名ですが、「フォックスが価値を分からず手放した」という単純な形ではないようです。当時のフォックス側の二人は「誰が承認したか」の記憶が食い違っていて、しかも会社側は収益の六割と毎年二割増という具体的な条件を出していた形跡もあります。伝説は、伝わるうちに角が取れていくもののようです。ジョーズが「当たったから続編を作る」だったのに対し、スター・ウォーズは最初から続きと商品を前提にした仕組みでした。その影響は思わぬところにも出ていて、007の次回作は予定を変えて宇宙へ行くことになります(『ムーンレイカー』1979)。いまのことは、まだ書けません。劇場と配信のあいだで公開の仕方は動き続けていて、シリーズものが多すぎると言われたかと思えば、また劇場に戻す動きも出ています。この地図は、決まっていないことは決まっていないままにしておきます。